死を悼むことすら許さない非寛容

ドイツの政党AfDが移民反対のスタンスを鮮明にした際、欧州のエリートらはAfDは反ユダヤだと決めつけようとしました。しかし皮肉なことに2014年のフランクフルトやドルムントで「ユダヤ人はクソッタレ」「ユダヤ人をガス室に送れ」などと叫んでいたのはAfDではなく移民たちでした。
フランス国内でのユダヤ人を狙った犯罪は2013年から2014年年で倍増し851件に達しました。イスラム系の移民によるユダヤ人への迫害は、時に銃撃などという最悪な形でなされることもあり、例えば2014年にはイスラム教徒がブリュッセルユダヤ博物館で4人を射殺するという事件がありました。
欧州は移民の受け入れにあたっていろいろと予測を誤った。
移民としてやってきてもすぐに帰ると思っていたが帰らなかった。
いずれ同化するだろうと思っていたが同化しなかった。

ましてや新しい移民が以前からの移民を迫害するなどとは思っていなかった。
ユダヤ教徒以外にも向けられる凶刃と左翼の欺瞞
ユダヤ教徒のみが迫害の対象になっているわけではありません。ドイツではこんな事件が起きています。
3月6日、ドイツのヴォルムスでシンシアという女性が難民申請を却下され強制送還から逃亡していたチュニジア人に刺され、亡くなりました。
シンシアさんの葬儀の前には500人以上が参列し、彼女の死を悼みました。
問題はここからです。 AfDが追悼のサイレントマーチを企画すると、左翼団体がそれに対して抗議をしてきたとのことです。
ナチス行進反対同盟という左翼団体は、追悼のサイレントマーチに抗議し、無言の抗議を呼び掛けました。
彼らの言い分は移民による犯罪の犠牲者の追悼を行うことは外国人や移民に対する反感を煽っているという意味のよくわからないものです。
人が1人殺されているのに、追悼をしてはいけないという理屈は理解に苦しみますし、大切な家族を失ったご遺族の気持ちを考えることはできないのでしょうか?
移民による犯罪が起きても、移民を受け入れるという理想を左翼団体が抱くのは彼らの勝手かもしれませんが、なぜ他の人たちもそんな理想に付き合わなければいけないのでしょうか?
ドイツでは移民による犯罪の犠牲となった人の追悼を行おうとすると左翼団体が押し掛けてきて妨害するという行為が、繰り返されているそうです。
多様性や寛容という理念を崇める左翼やリベラルが、移民による犯罪のない世界で安寧に暮らしたいという人達の思いを認めないばかりか、自分達の思想を押し付けてくるのは傲慢としか言いようがないですね。
ましてや移民に暴行された被害者に、反移民感情を煽らないように被害を届け出るなと圧力をかける倒錯もすでにダグラス・マレーらが主張しています。
すぐに日本でも似たような事態に見舞われることになるでしょう。その時は日本のあり方が相当な危機に瀕している時ということでしょう。